ヒカルの碁の影響で囲碁部を作って全国大会に行った話 その4

秋の大会に向けてスタートした囲碁同好会。
主なメンバーは以下の通り。

F君
同好会の発起人。6段ぐらいで、小学生の時に全国大会にも出たことがある。
院生にも勝ったことがある実力者。


高校から囲碁を始めて、7月時点で5級ぐらい。

I君
同じクラスでF君を紹介してくれた人。ヒョロガリで眼鏡でスポーツ刈り。
7月時点で5級ぐらい。

N君
別のクラスの寮生。5級ぐらい。

あと他の寮生で3人ぐらい。

団体戦は3人しか出れないため、F君を確定とすると残りの2枠を争うことになる。

囲碁の勉強方法としては、当時は主に書籍とネット碁だった。
今だったらAIを使って勉強するだろうが、2002年頃の囲碁ソフトは僕でも楽に勝てるようなものばかりで、せいぜいアマの初段ぐらいだったと思う。
そういえばプレステのソフトで「ヒカルの碁 平安幻想異聞録」というのが発売されていた。
買って対局してみたが、佐為や塔矢行洋がメチャメチャ弱く、大石を取って投了させて遊んでいた。
あとは、別の高校に進学した友達もヒカルの碁の影響で囲碁部に入っていたので、そこで友達が教わった事を又聞きで学んだり、
高専の近くに木更津高校があり、そこに進学した友達のツテで囲碁部に練習させてもらいにいったりした。

大会までの間のおよそ4ヶ月間で2級ぐらいになり、僕は団体戦のメンバーに選ばれることができた。
同じぐらいの棋力になっていたI君も選ばれ、F君、僕、I君の3人で団体戦に出場することになった。

初めて出た大会の団体戦では、千葉高、木更津高校が強豪として名を連ねていたように思う。
我らが高専は残念ながら予選を抜けれず、千葉高が全国大会に進んだ。
個人戦でもかんばしい成績を残せず、囲碁同好会としての最初の活動は地味な形で終わった。

その5につづく

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